岩手ツーリング 3日目 平泉、中尊寺
みなさんおはようございます。
今回もツーリングレポートのその2です。
今回の大きな目的の一つ、中尊寺に行ってきました。
中尊寺は清衡、基衡、秀衡、泰衡の4代にわたって栄えた奥州藤原氏の象徴的な建立物です。
清衡が建て、歴代の棺が納められています。
東北地方は、安部氏と清原氏が納めていました。
安部氏が陸奥の国司と戦になり、源頼義が介入、前九年の役が勃発します。
源頼義が勝利するのですが、清原氏の助太刀を頼んでいたのです。
安部氏の武将、亘理郡の豪族、藤原経清の妻が清衡氏の元へ嫁いでいきます。子供付で。
この子は清原清衡です。
藤原経清は戦死します。この人は藤原氏の傍流であったようです。
清原氏の中で争いが勃発し、清原真衡・清衡・家衡源で戦い合うように。
源義家が介入、清衡に付きます。
真衡の死で戦端は収まるのですが、義家は所領を清衡と家衡とで折半します。
しかし、清衡と家衡は戦を始めてしまい、清衡は義家と家衡を討ちます。
こうして、東北を手にした清原清衡が、先祖の藤原氏を名乗り、藤原清衡となります。
源義家は通商八幡太郎、頼朝や義経、足利尊氏の祖先になります。
東北地方は金と馬を産出するので、歴代の源氏が喉から手が出るほど欲したのですね。
源氏の助太刀で成立した奥州藤原氏、源氏を保護し、源氏に滅ぼされるのは歴史の妙という物でしょうか。
DAY3 平泉、八幡平
朝の7:30に中尊寺に赴き、見物を開始しました。
まずは山道を登っていきます。
門が見えてきました。

中には本堂があります。

お参りしたあと、金色堂へ向かいます。
金色堂は撮影禁止でした。
みなさんも見に行ってみてください。
本当に金色でしたよ。
朝一で行ったのに、結構な行列でした。
そのあとは、のんびりと境内を見物です。
緑が萌え、綺麗でした。
境内にはお堂が沢山有ります。
地蔵堂は門の外にありました。


弁天堂は緑が綺麗です。

能楽殿も。

11時頃に見物を止め、出発します。
本殿は大行列で、駐車場は満車、周辺の道路は大渋滞でした。
昨日の記事で義経の事を・・・と書いたので蛇足で書きます。
興味の無い方は読み飛ばしてください。
多大な戦果を上げた義経でしたが、兄頼朝と関係が悪化してしまいます。
命令無視で戦果を独り占めし、関東武士に恨まれたことも要因ですが
義経と言う人は、頼朝が進めていた武士の権利の確立と武士による政治、と言うことが
全く理解出来なかったようで、朝廷方の離間工作に引っかかってしまいます。
勝手に朝廷から恩賞を受けてしまったのです。
頼朝にとって、武士の権利の全く無い平安時代に戻る事を意味していて、
容認できる物ではありませんでした。
結果、義経は平泉まで落ち延びます。
随伴したのは僅かばかりの人員でした。
時代は頼朝の新しい政治を期待していて、朝廷方についた義経を支持する人はいなかったのです。
義経は自刃し、奥州藤原氏も義経保護の罪で攻められ、滅亡します。
しかし、頼朝の子達は貴族化してしまい、藤原氏のような事を行い始め、
武士政権であることから離れていきます。
殺されたりして、直系の子孫が滅亡するのは皮肉のようでもあります。
以後、義経北行伝説が流れます。
恐らく、死んで可哀想だから、生きていることにして上げようと、
いう供養の気持から生まれた伝説だと思うんです。
成仏しないと、怨霊になりますのでね。
さて、椀子そばを頂きに盛岡へハーレーを飛ばしました。
岩手を縦断します。
平泉より北は、車の渋滞は見られませんでした。
先輩Kは「金色堂から北は万人が見ることのできる場所が無いからだ」と言い放ってました。
言い過ぎの気がしますが、間違いでもなさそうです。
「初駒」さんで椀子そばを頂きました。
一時間待ってそばを頂きました。
僕たち二人と、老夫婦二人で、バイトの女の子一人が蕎麦を廻してくれました。
女の子は「どんじょ〜」といって蕎麦を入れてくれます。
老夫婦はすぐに止めて見物に入って仕舞ったので、
僕たち二人で女の子に立ち向かわねばなりません。
4人が2人になったため、蕎麦を食べる速度があがります。
K先輩は76で止めてしまったので、最後は僕一人で女の子に立ち向かう事に。
休む間もなく蕎麦を食べ続けます。
かなり無理して食べましたが、99杯でした。
惜しかったですね。


宿は八幡平のペンション。
フルコースを頼んでいましたが、椀子そばで食べられませんでした。
残念。
スープは蕗の薹でした。おいしす。





僕が写真を撮るきっかけになったのは、
シルクロード写真家、故並河万里氏の写真展を見たからでした。
並河氏は撮影に望む前、撮影する地方の歴史を学者並みに勉強するそうです。
僕も、真似しているのですが、蛇足のうんちくが出るだけですね・・・・
今回もツーリングレポートのその2です。
今回の大きな目的の一つ、中尊寺に行ってきました。
中尊寺は清衡、基衡、秀衡、泰衡の4代にわたって栄えた奥州藤原氏の象徴的な建立物です。
清衡が建て、歴代の棺が納められています。
東北地方は、安部氏と清原氏が納めていました。
安部氏が陸奥の国司と戦になり、源頼義が介入、前九年の役が勃発します。
源頼義が勝利するのですが、清原氏の助太刀を頼んでいたのです。
安部氏の武将、亘理郡の豪族、藤原経清の妻が清衡氏の元へ嫁いでいきます。子供付で。
この子は清原清衡です。
藤原経清は戦死します。この人は藤原氏の傍流であったようです。
清原氏の中で争いが勃発し、清原真衡・清衡・家衡源で戦い合うように。
源義家が介入、清衡に付きます。
真衡の死で戦端は収まるのですが、義家は所領を清衡と家衡とで折半します。
しかし、清衡と家衡は戦を始めてしまい、清衡は義家と家衡を討ちます。
こうして、東北を手にした清原清衡が、先祖の藤原氏を名乗り、藤原清衡となります。
源義家は通商八幡太郎、頼朝や義経、足利尊氏の祖先になります。
東北地方は金と馬を産出するので、歴代の源氏が喉から手が出るほど欲したのですね。
源氏の助太刀で成立した奥州藤原氏、源氏を保護し、源氏に滅ぼされるのは歴史の妙という物でしょうか。
DAY3 平泉、八幡平
朝の7:30に中尊寺に赴き、見物を開始しました。
まずは山道を登っていきます。
門が見えてきました。
中には本堂があります。
お参りしたあと、金色堂へ向かいます。
金色堂は撮影禁止でした。
みなさんも見に行ってみてください。
本当に金色でしたよ。
朝一で行ったのに、結構な行列でした。
そのあとは、のんびりと境内を見物です。
緑が萌え、綺麗でした。
境内にはお堂が沢山有ります。
地蔵堂は門の外にありました。
弁天堂は緑が綺麗です。
能楽殿も。
11時頃に見物を止め、出発します。
本殿は大行列で、駐車場は満車、周辺の道路は大渋滞でした。
昨日の記事で義経の事を・・・と書いたので蛇足で書きます。
興味の無い方は読み飛ばしてください。
多大な戦果を上げた義経でしたが、兄頼朝と関係が悪化してしまいます。
命令無視で戦果を独り占めし、関東武士に恨まれたことも要因ですが
義経と言う人は、頼朝が進めていた武士の権利の確立と武士による政治、と言うことが
全く理解出来なかったようで、朝廷方の離間工作に引っかかってしまいます。
勝手に朝廷から恩賞を受けてしまったのです。
頼朝にとって、武士の権利の全く無い平安時代に戻る事を意味していて、
容認できる物ではありませんでした。
結果、義経は平泉まで落ち延びます。
随伴したのは僅かばかりの人員でした。
時代は頼朝の新しい政治を期待していて、朝廷方についた義経を支持する人はいなかったのです。
義経は自刃し、奥州藤原氏も義経保護の罪で攻められ、滅亡します。
しかし、頼朝の子達は貴族化してしまい、藤原氏のような事を行い始め、
武士政権であることから離れていきます。
殺されたりして、直系の子孫が滅亡するのは皮肉のようでもあります。
以後、義経北行伝説が流れます。
恐らく、死んで可哀想だから、生きていることにして上げようと、
いう供養の気持から生まれた伝説だと思うんです。
成仏しないと、怨霊になりますのでね。
さて、椀子そばを頂きに盛岡へハーレーを飛ばしました。
岩手を縦断します。
平泉より北は、車の渋滞は見られませんでした。
先輩Kは「金色堂から北は万人が見ることのできる場所が無いからだ」と言い放ってました。
言い過ぎの気がしますが、間違いでもなさそうです。
「初駒」さんで椀子そばを頂きました。
一時間待ってそばを頂きました。
僕たち二人と、老夫婦二人で、バイトの女の子一人が蕎麦を廻してくれました。
女の子は「どんじょ〜」といって蕎麦を入れてくれます。
老夫婦はすぐに止めて見物に入って仕舞ったので、
僕たち二人で女の子に立ち向かわねばなりません。
4人が2人になったため、蕎麦を食べる速度があがります。
K先輩は76で止めてしまったので、最後は僕一人で女の子に立ち向かう事に。
休む間もなく蕎麦を食べ続けます。
かなり無理して食べましたが、99杯でした。
惜しかったですね。
宿は八幡平のペンション。
フルコースを頼んでいましたが、椀子そばで食べられませんでした。
残念。
スープは蕗の薹でした。おいしす。
僕が写真を撮るきっかけになったのは、
シルクロード写真家、故並河万里氏の写真展を見たからでした。
並河氏は撮影に望む前、撮影する地方の歴史を学者並みに勉強するそうです。
僕も、真似しているのですが、蛇足のうんちくが出るだけですね・・・・
この記事へのコメント
なるほど~その場所の勉強をするんですね!考えたこともなかったです!素晴らしい!
説得力と言うかなんだかパワーを感じるのはそう言う事だったのかと納得しました♪
わんこそば99杯は凄いです(笑)
確か食べ盛りの中学生位だったかなぁ、家族旅行でいきましたが全然入らなかった気がします…
フルコースは残念です(爆)
説得力と言うかなんだかパワーを感じるのはそう言う事だったのかと納得しました♪
わんこそば99杯は凄いです(笑)
確か食べ盛りの中学生位だったかなぁ、家族旅行でいきましたが全然入らなかった気がします…
フルコースは残念です(爆)
Tomoさん、訪れるまえに歴史を頭に入れておくと楽しい旅になります。
といっても、よく岩手から大リーガーが二人も出たなぁと、花巻の田舎道を走りながら考えてました。
といっても、よく岩手から大リーガーが二人も出たなぁと、花巻の田舎道を走りながら考えてました。
わんこそば99杯ですか〜。
あと1杯で100だったんですね。これ、食べてるときには何杯かはわからないんでしょうか。わかってたら、なんとかもう1杯食べていたかもしれませんねw。
あと1杯で100だったんですね。これ、食べてるときには何杯かはわからないんでしょうか。わかってたら、なんとかもう1杯食べていたかもしれませんねw。
Z1000SXさん、コメントが遅れました。
椀子そばはかなり無理しました!
あと1杯も食べられる感じではなかったです。
おためしあれ!
椀子そばはかなり無理しました!
あと1杯も食べられる感じではなかったです。
おためしあれ!